服と自分入門3 「衣・食・住」の時代と「オシャレは我慢」の時代

服と自分入門3 「衣・食・住」の時代と「オシャレは我慢」の時代

第三回となる今回は、服・ファッションを構成している複雑な要素を分解し、一つずつ向き合ってみようと思います。

そしてその初手は「素材」。これはいろんな要素に影響を与えることができる、とても大事な要素です。
専門学校ではテキスタイル専門の学科が当然ありますし、今も多くの人が新たな生地を開発しています。
ここでは「服と自分入門」なので二者の関係性についてを取り上げていきます。

まず素材についての考えを端的に話すと、「いい素材の服を着ることは必ず人生を豊かにする」と思います。
強く言い切ってしまいますが、生地にはそれだけの力があると思います。
今回も長くなると思いますが、ファッション好きこそ読んでいただけると嬉しいです。

今の素材のトレンド

素材の流行って意識されたこと、ありますか?

ちょっと前だとみんなシアー素材の服を着たり、ベロアが流行ったり、特定の生地がフォーカスされることがあります。
最近ではBlur=ぼやけた柄や、堅めの素材感は流行っていると思います。
軽やかで揺れ動くというよりはソリッド。デジタルとの融合を感じさせるグリッターなどは注目されています。

シアー、ベロア、Blur、グリッター素材

左から 【yori】ドット柄シアーブラウス / 【FENDI】VINTAGEコットンベロアジャケット / 【MINEDENIM】Blurry Border Mohair Knit Pullover / 【Curensology】 スパングルショートカーディガン

ミクロな流行もいいですが、マクロな流行も皆さんにぜひ紹介したい。
・テクノロジー化
・サステナブル
の2点は長い間注目を集めていて、おそらくどこかで大きな変革を起こすんじゃないかと楽しみに待っています。
どちらも大企業を巻き込んだ取り組み。何も起こらない、変わらないと思うほうが不自然・・・?
詳しくは「WWD」の記事をご覧ください。有料会員になると全文お読みいただけます。

テキスタイルから見る「2025-26年秋冬トレンド」【テキスタイルデザイナー梶原加奈子の詳報リポート】(WWD)

筆者の梶原さんも仰っていますが、この2点はトレンドというよりも時代的な前提。
流行というには大きな波で、コロコロ変わるようなものではないと思っています。
この2つの流れについてちょっとお話しておくと、

3Dプリンタ

3Dプリンタの影響力が強まっています。皆さんはアイリス・ヴァン・ハーペン(英語読み)をご存じですか?
3Dプリンタクチュールのパイオニア的存在の彼女ですが、2011年には米国TIME紙の年間最優秀発明50にノミネートされていました。

Spiberとイリス・ヴァン・ヘルペンが2025年秋冬パリ・オートクチュール・ファッションウィークで初コラボレーション Photo: Delphine Chevalier(PR TIMES)

私はそのころ3Dプリンタが一般家庭向けなるのはずいぶんと先だし、普及しないものかな?とも思っていましたが完全にこれは読み違い。
「DIOR」や「GUCCI」などハイメゾンも取り入れ始めました。「CHANEL」は早かった印象で、2015年頃に取り入れていたと思います。
かつてのように硬質なものだけでなく、柔軟性のある「ナイロンパウダー」などを使用し、ごく薄い服も作られるようになっています。

この技術革新はファッションに大きな波を「確実に」もたらすものです。

今回は深入りしませんが、メタバースもかなり注目されております。実際の人が着るわけではなく、自分のアバターが着るファッションに大企業も着目しております。
BALENCIAGAやNIKEは特に参入が早かった印象です。
市場規模の伸びも実は凄く、2018年から2024年で約116倍、58億円規模にまで成長しております。* 「BOOTH 3Dモデルカテゴリ取引白書2025」より
まだ参入が少なく本格化するのは少し先になりますが、スピルバーグが監督した「レディ・プレイヤー1」の世界のようになるかもしれませんね。

サステナブル

こちらもファッション業界全体で解決しなくてはいけない内容の一つ。大企業が先頭に立ち、また個人規模のショップでもエコロジーコンシャスなブランドが増えていると思います。企業の責任としてやってくれる企業は心強いし、そういった点にも注力できないと世間の風当たりが悪く、経営判断でSDGsに注力する会社もあるかもしれません。

大企業だとGUCCIを擁するケリングは特に注力していたそうです。
19SSからパリの見本市「プルミエール・ヴィジョン」でもサステナブルな素材の発信に力を入れていたとか。
結構最近のようですが、大きな流れとなり今もなおテーマとして掲げられているのは素晴らしいことですね。

ファッション業界が衰退しないためにはSDG'sとの向き合う力が必要です。
感情を揺さぶる新しいファッションが広がり、素晴らしい技術が受け継がれるのを願いつつ、私はリユースの立場でささやかに服と人を繋ぐ仕事をしていきたいと思います。

ちなみにこういった流れに早くから注目しており、発言を続けているのがWWDさんのポッドキャスト。私もよく作業のお供に聞いております。大規模な展示の紹介や、SDGsにコミットしたブランドさんをピックアップしたりと色々なお話を伺えます。

【ポッドキャスト】サステナブルファッション・トーク(WWD)

さて、現在の素材の大きなトレンドは「テクノロジー」と「SDG's」の二つ。
でも素材と人類の付き合いはものすごく長く、変化してきました。
今回の「服と自分入門」は年齢によって感じ方が変わるのかなとも思います。
是非今・昔の自分と照らし合わせてみてください。

身体的な素材

素材に原初必要とされたのは「安全に暮らせるかどうか」「夏は涼しく、冬は暖かいか」という生存についての要素でした。
しかし、それらは産業の発達により「全員が享受できるもの」になりました。
貴族と平民の服装の違いも、階級社会の当時のあり方や民藝としての服等面白いことはたくさんあるのですが、そのあたりは掘っても掘り切れない歴史ですね。

明治中期である1880年頃から、近代化の急速に進む日本で「衣・食・住」という、いわば生活の土台を簡潔に示す言葉が生まれました。
生活に必要な要素のこの三つは有名だと思いますが、この「衣・食・住」は実は「遊・休・美・知」と続きます。
「衣・食・住」が安定すると、次は「遊・休・美・知」=遊んだり、休んだり、美意識や芸術を愛で、知識欲を持つようになると言われていました。

余談ですが「花束みたいな恋をした」(2021)という映画を見た時に菅田将暉さんが演じる主人公は元来文学や絵を好む青年だったのですが、社会人となり心に余裕がなくなり、芸術などからはなれ携帯ゲームをしたりする姿を見て「ああ、仕事をしてお金を稼ぐようになったけど貧しくなってしまった」と悲しく感じたのを覚えています。

私も会社員時代を思い出すと、心に余裕がなくなって“生きるだけ”になってしまう気持ちはとてもよくわかります。
時々本棚を見て、「ああ、好きだったなあ。でも読み返す体力がないな」と思う切なさもしっかり刻まれています。

ちょっと脱線しましたが、先にお話したように衣類の根源は生命維持の道具で、「安全に暮らせるかどうか」「夏は涼しく、冬は暖かいか」という身体的な要素が重視されていました。これが豊かになるとともに「遊・休・美・知」といった心理的な部分がむしろ重視されるように、何なら逆転さえ起きてしまいます。
豊かになると身体的から心理的に移ろうと言えるのかもしれません。

心理的な素材

小学校の頃みんな冬でも半袖・半ズボンで遊んでいました(私の故郷東北でさえ!)が、子供からしてもあれって正直しんどいんです。でも半袖じゃなきゃダサいといった同調圧力のようなものをなんとなく感じて、半袖になる。そしてドッジボールのボールをキャッチするときには腕に針で刺されたような痛みを感じていました。寒さを緩和するための服を脱ぎ捨てて、子供は寒さを跳ね返すチャレンジをしてしまう。

また、いつできた言葉なのかわかりませんが、私が子供の頃にはすでに「オシャレは我慢」という言葉がありました。
それってかなり端的に素材のあり方が逆転しているのを象徴する言葉だと思いませんか?
この言葉のニュアンスには「寒い時にあったかくしているのはダサい」というニュアンスが含まれていて、自分の思うおしゃれを実現するために機能性を取るのは「妥協」のような意味合いがありました。

豊かになり、皆が同様の機能を獲得する。
当然自分も同じ他人と同様の服装の自分をしているとき、ふいに自分のことが沢山いる人間の中の一つに思える。

ことファッションが好き、おしゃれが好きというのは「美意識」という側面と、美意識と極めて混同しやすい「人と同じが好きではない」という気持ちが含有されています。(さらに人と同じは嫌で違うコミュニティのファッションをマネするけど、結局それも別のコミュニティと同化してしまうという問題も。)

冬でも履くミニスカートは体温を保つのにとても合理的とは言えないし、丈夫さを前提に作られたcarharttなどのダック地を普段着にするのも、そんなハードな作業をするわけでないなら本当は不要なはずなんです。

私も一時期ある先輩のスタイルにあこがれて、デニムを履いたまま寝たり、履いたままお風呂に入ったり、履いたまま海に沈んでいったことがあります。そしてスレキの裏にマジックでその日にちを書くのがかっこいいと教えられました。
憧れは合理性を超えて、その服を選ぶ理由になる。

こうした心理的な素材の選び方は、実は年齢とも深く結びついています。

年齢とともに変わりゆくもの

昔は暖かさや涼しさという機能を求め、現代は徐々に変わってきている。
社会生活の変化に伴った流れはあるのですが、それとは別に、年齢とともに趣向が変わる傾向もあります。

大まかにくくりますが、若いころはなぜか自分を痛めつけるような素材が、大人になるにつれて自分のことを大切に守るような素材が好きな人が多いと思います。

若いころは自分が不安定です。
私の考えでは若いころに快適な素材を選ばず、いろいろチャレンジしているのは自分のことを試している状態なのかなと感じています。不安定だからこそ自分を知るために自分の「像」を揺らしたり、たたいてみたり、こねてみたりすることで、何とか「形」を知ろうとします。

一方で大人になると肌に優しい素材を選び、動きやすい快適な服を着ます。
自分についての理解が進んで、もう着にくい服を着たりして自分を試す必要もないし、他人の視線や背伸びする必要がなくなって、等身大で服を選べる。

年齢は経験と是非読み替えていただきたいとも思っていて、それぞれの位置から読んでいただけると嬉しいです。

この域に達した時、服を見てワクワクできるかどうかが服・ファッション好きかどうかなんじゃないでしょうか。
もしワクワクしなくなったのなら、それはきっと服・ファッションじゃなくても手に入るものだったかもしれません。

おわりに

素材は、ただ服を構成する要素のひとつではありません。
それは、
「今の自分が何を大切にしているか」
「どんな状態で生きているか」
を、静かに映し出す存在だと思います。

若い頃に選んだ素材と、今、自然と手に取っている素材。
そこにはきっと、合理性だけでは説明できない変化があるはずです。

この回を読み終えたあと、クローゼットの中の一着を触ってみてください。
それは、今のあなたにとってどんな役割を果たしているでしょうか。

次回は、また別の要素から
「服と自分」の関係を分解してみようと思います。

ではまた来月。
お読みいただきありがとうございました。