服と自分入門 6「みんなと同じ」ではいられないけど、「誰かと同じ」であろうとする

服と自分入門 6「みんなと同じ」ではいられないけど、「誰かと同じ」であろうとする

服と自分入門も今回で6回目、ちょっと久々の更新となってしまいました。
最近はお買取りのご利用が増え、商品をオンラインストアにアップする作業に追われる日々を過ごしています。素敵なアイテムをお任せいただけること、本当に嬉しく思っております。
まだ駆け出しの私たちを信じてお任せいただき、皆様いつもご利用いただきありがとうございます。

さて今回は、個人的に令和のファッションの大きな特徴なのでは?と感じている要素について。
「個性・自己表現」と、その対にあるものについて考えていければと思います。

はじめに「連帯感のためのファッション」

「つながりのための服」
これは、「個性の時代」「自己表現の時代」と言われる現代とは、少し逆行しているようにも感じます。

実際、昭和や平成のころよりファッションの幅はかなり広がりました。
好きな格好で街を歩いていても、昔ほど変な目で見られなくなった気がしますし、「こうじゃなきゃダメ」という空気も薄くなってきたように思います。

つまり、ファッションの受け皿自体は確実に広がっている。

でもその一方で、現代のファッションを見ていると、実は「コミュニティ」という感覚が以前よりもずっと強くなっているようにも感じるのです。

自由、個性、オリジナル。
みんなが「自分らしさ」を求めているはずなのに、同時に「誰と繋がるか」もすごく大事になっている。

なぜそんなことが起きるのでしょうか。

今回は、ファッションが持つ「自己表現」「連帯感」という二つの側面について、一緒に考えていけたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

所属を示す制服、ユニフォーム

まずは制服やユニフォームについて。
これらは「つながりのための服」の、もっともわかりやすい例だと思います。

学生の頃、近所の高校の制服がかわいくなったと話題になったことがありました。
志願者が増えるだけではなく、なんとその高校は制服のおかげで偏差値がぐっと上がったとか・・・。制服のパワー恐るべしですね。

確かに当時の学生からすると、制服はかなり重要なポイントでした。
「〇〇高校の制服かわいいよね」とか、「あそこの制服はちょっとダサい」みたいな話は日常的にされていた気がします。

つまり制服は、単なる服ではなく「どんな集団に所属しているか」を表す記号でもある。
「かわいい集団」「イケてる集団」の一員になることは、日々の気分や自己認識にまで影響してしまうんですね。

色々な学校の制服をイラストにして、どんなイメージか書くイラストレーターさんを見たことがあります。こうしてイメージやレッテルをつけられるのも制服のように「規範のある服」だからこそでしょう。

これは会社のユニフォームにも少し似ています。

企業はユニフォームや社章を使い、「自分たちは同じチームである」という感覚を作ります。
実際、大企業では制服デザインにかなり長い時間とコストをかけることもあるそうです。

さらに面白いのは、それが広告としても機能していること。

例えばコンビニや運送会社。
遠くから見ても「あの会社だ」とわかる制服がありますよね。

組織に属して、そのユニフォームを着る。そのユニフォームごとにイメージや憧れなどを呼び、擬人化されるケースを見たこともあります。とても面白い現象ですよね。

また、過去にはFedExのユニフォームが古着好きの間で流行ったこともありましたし、今でもAppleやMicrosoftの企業ロゴTシャツをかっこいいと感じる人は少なくありません。

左からテクノロジー企業Microsoft社、音響メーカーBose社のTシャツ

制服やユニフォームによって呼び起こされる、「この学校/会社って〇〇なイメージ」という人の目線をファッションに組み込む。
制服/ユニフォームは「個性」や「自己表現」の逆のはずなのに、自分で選び取ると個性に転化するという面白い性質があります。

服そのものではなく、服を着る人のイメージなどをセットで人は見てしまうのかもしれません。

他の例を見てみましょう。

「信者」のいるブランド

パリコレのランウェイはショーですが、当然その場に集まる人もファッショニスタばかり。
通称「オフランウェイ」と呼ばれる会場周辺やストリートでのスナップも、パリコレシーズンを彩る楽しみの一つとなっています。

そして名物ともいえるのが、全身「Rick Owens」を纏った集団。

参考:【スナップ】「リック・オウエンス」信者で溢れるショー会場周辺 パリが異惑星の光景へと化す|WWD

見たことのない造形や、未来感のあるデザイン。
リアルクローズから大きく離れたアイテムも多く、それらが集団で並ぶと圧巻の迫力になります。

同じブランドを愛する仲間同士で、唯一無二のファッションを着て集まる。
想像するだけでもかなり楽しそうです。

これは、パンクやロリータ、スチームパンクなどのファッションにも近い感覚かもしれません。
日常から少し離れた服装だからこそ、「好きなものを共有できる場所」が特別な意味を持つ。

つまり服は、“自分を表現する道具”であると同時に、「仲間を見つけるサイン」でもあるんですね。

そして面白いのは、こういったコミュニティほど「強い個性」を持って見えることです。

ただ、ここでふと疑問も浮かびます。

集団化するようなものは、本当に「個性」や「自由なファッション」と呼べるのでしょうか。

もちろん、同じものを好きな人たちと繋がる楽しさはあります。
でも一方で、個性の多くは模倣から始まっていて、「どこに所属するか」を選ぶこと自体が個性になっているようにも感じるのです。

「みんなと同じ」ではいられないけど、「誰かと同じ」であろうとするのが面白いポイントですね。

自己表現としてのファッション

結局のところ、人は完全に一人ではファッションを選べないのかもしれません。

どこかのカルチャーに惹かれ、どこかの空気感に安心し、どこかのクラスタに所属していく。
そして現代は、その「所属」を隠す時代ではなく、むしろ自分から選び取っていく時代になったように感じます。
「〇〇界隈」という言葉がここまで一般化したのも、その延長線上にあるのではないでしょうか。

昔は同じ服装をしていると「個性がない」と言われることもありました。
でも今は少し違います。
どのコミュニティに属し、どんな空気感をまとい、どんな人たちと繋がっていたいか。

ファッションは、「自分そのもの」を表現するだけではなく、「人からどう見られたいか」をデザインするものになってきている。

SNSやインターネットで沢山のアイデアや情報が手に入る結果、自分で考えて組み合わせる「想像力」よりも、適切な情報を組み合わせて自分でそのアイテムや似たものを合わせる「編集力」の時代になったのでしょう。

私たちも、ミニマルな時もあれば、カチっと決めたり、
大人カジュアルにしてみたりと日々奮闘中です。

ただ忘れてはいけないのが、ファッション好きは「みんなと同じ」ではいられないということ。
編集力の高い服好きが多い今こそ、気づかないうちにどこかのクラスタに属してしまう。
そして「〇〇系」とジャンル分けされてしまう。
こうやってジャンル分けし、名前を付けるのは理解しやすく多くは好まれるのですが、ファッションってそもそもそんな目的だったかな?と立ち止まるのも大切だと思います。

本当に誰とも違うこだわりを探してみる。
あるいは、どこのコミュニティにも完全には属しきれない感覚を大切にしてみる。

当店はヴィンテージ・デザイナーズ・アウトドアウェア等の分け隔てなく、ユニークなアイテムをそれぞれ店頭に置いています。
ブランドリユースならではのミックスファッションを、皆様にもぜひお楽しみいただけると嬉しいです。

ちょっと宣伝になってしまいましたが、色々な服を見て、体験して、自分なりのスタイルを見つけられたら素敵ではないでしょうか。

ではまた次回、ありがとうございました。